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テレビの進路
ウチナーコンボイさんから頂いたコメントへの返事です。

民放というシステムが通用しなくなっているのではないかという疑問は、若い人が受像機を買わなくなっていることや、携帯とネットでの情報で満足し、映画が復活していることなどから考えて、至極当然のことです。

しかし、洞窟の壁画、声や太鼓、印刷、電話、映画、ラジオ、テレビ、インターネットという情報伝達(メディア)の歴史を見ると、それぞれが栄枯盛衰を経て社会に定着したことが判ります。

お世辞にも新鮮とは言えないテレビが衰えつつあるのは確かですが、だからと言って、悲観的になる必要はないとわたしは思います。

言う迄もありませんが、どのメディアにも、そのメディアでなければ伝えられない情報の内容と表現形式があり、現在の混乱状態はメディアがそれを見失って、同じ情報を同じように扱っているのが原因です。

テレビで考えると、情報番組やバラエティはまさにその象徴で、あんなことをやっていればテレビが視聴者からも、スポンサーからも見放されるのは当然ですし、ましてペイテレビにするのは不可能です。

聴取料を取る方法を考える前にしなければならないのは、視聴者が見たい番組を作ることです。

これは色々な所でで書ききましたが、ディレクターやプロデューサーが視聴率を取るためでなく、自分が楽しいと思う番組を作るべきです。

わたしが若い頃、今ではテレビの黄金時代と呼ばれる頃には、他局の番組を見ても、誰が作ったかが判ったものです。

そして、個性的な番組を作る近道は、自分の好きな事柄(趣味)、知ってる事柄(知識)を素材に使うことです。

趣味や知識なら他人より詳しいし、面白く見せる方法が判るからです。

わたしが尊敬する井原高忠さんが芸能局長に就任したとき、局員を集めて話したのがこのことで、前置きは、試験で入社した諸君がエンターティメントの天才である可能性は低いし、どの分野でも世界で才能で金が稼げる人は数人しかいず、それでマーケットは満たされる。さらに、優れた番組は優秀なスタッフが集まれば作れるが、一人でも駄目なスタッフが居れば作れず、そういうスタッフを集めるのは難しい。だから、せめて自分の趣味や知識を生かして番組を作れ・・というものでした。

わたしはこの話を聞いて、基本的な事をこんなんにも判りやすく話せる人が居ることに感動し、その後井原チームでカリキュラマシーンを作る中で、出来る部下を信頼して全面的任せる井原さんの姿勢に打たれました。

ウチナーコンボイさんがのご苦労は理解しますが、ぜひテレビの原点に戻って努力して、いや楽しんで、番組を作って頂きたいと思います。

余談ですが、ご関係の局で「パピプペポロン」を放送していただけないでしょうか?

       カリキュラマシーン・ディレクター 宮島将郎
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みんなでテレビに喝!   0 0

「観る人なんかどうでもいい」
数日前のNHK番組「プロフェッショナル」で海老蔵が、こんな意味の発言をした。
「他人なんかどうでもいい」だったかもしれないが、まったくその通りだと思った。

何かを一筋に追求する人はみんなそう思っている。
他人の言う事を気にしていたら、自分の本来の着地点を見失うし、進むエネルギーも失うからだ。

カリキュラマシーンのディレクターも、作家も、まさに自分本位で、他人がどう観るかなど気にしなかった。
いや、他人と同じ事をやりたくなかった。

台本を書いていた喰始さんはこう書いている。
「テレビでやりたいことができた最後の番組」
裏返せば、今のテレビが如何に束縛だらけかということだ。

先日、カリキュラマシーンの最後のシーンの「じゃまた!」のギニョさん(齋藤太朗ディレクター)と呑んだ時、ギニョさんが作った番組(シャボン玉ホリデー、九ちゃん、ゲバゲバ90分、ズームイン朝、おもいっきりテレビ、仮想大賞・・すごい!)はすべてオリジナルだという話になったら、ギニョさんも「絶対に人と同じ物を作りたくない! 同じ物を作るなら何もしない方がいい!」と言った。

カリキュラマシーンのディレクターもみんなそう思っていた。
だから、カリキュラマシーンは一本一本が違う番組になったのだ。

世の中は賛成半分、反対半分。
反対を気にしたら何もできない。
海老蔵は「ぼくは自分勝手なんですよ」と言ったが、それが正解だ。

人と似た番組を作れば批判されるが、個性的な番組を作れば誰も文句を言わない。
そんなことが許された時代を羨む、今の番組制作者が居るかもしれない。

だが、作るのは自分だから、その気になれば何でも作れる筈だ。
羨む前に、自分を発見してほしい。

    カリキュラマシーン・ディレクター 宮島将郎
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役者が走る
カリキュラマシーンの収録では<役者が走る>と噂された。
スケジュール表では朝の9時から夜中の12時でも、実際に終わるのは午前1時過ぎるのが通例だった。
周知の通り、カリキュラマシーンのスタジオでは収録の効率を上げる工夫がさまざまに凝らされていた。

セットは、和室を除いて、スタジオの正面に象徴的な道具を出し入れする。
電柱とガードレールと立ち木が有れば、背景に家並みが無くても<道路>という具合で、これならセット転換は数分で終わる。
そのために美術は道具をスタジオの一方に収録順に並べ、本番が終わるともう一方に片付けるのだが、大急ぎでやらないと、照明やカメラが次の本番の準備をできないから、文字通り走っていた。

だが、どんなにスタッフが走ろうが、肝心の役者がモタモタすれば収録は長引く。
役者が台本に書かれたシーンを理解し、台詞を覚え、即興の演技ができるの当たり前で、化粧や衣装を素早く済ませ、スタジオに走って来なければならない。

次はディレクターだ。
ディレクターが悪凝り、つまり小さなミスで本番を何度もやり直せば水の泡。
何度もやり直せば役者が飽きて、ギャグがどんどん面白くなくなる。
ギャグは最初の演技が一番面白い。
せっかく役者が相手を出し抜く芝居をしようとしてるのに、やり直すと水の泡だ。
ディレクターには<思い切り>が要求された。
尤も、4人のディレクターが交代で収録し、サブコン(副調整室)のディレクター席の後ろのソファーには次のディレクターが待機しているから、悪凝りする余裕は無かった。
悪凝りするディレクターは陰で<ワルゴリー・ペック>と呼ばれたものだ。

つまりカリキュラマシーンの収録では全員が走っていたわけだ。
何故あんなに走ったのかと言えば、面白かったからの一言に尽きる。

カリキュラマシーンのファンから、どうしてあんな内容の番組が放送出来たかと聞かれることがよくある。
あんな内容とは、今のテレビではタブーとされる事柄や台詞がふんだんに入っていることだ。
子供は悪いことが好きだといわれるが、大人だって悪いことが好きだ。
カリキュラマシーンではそういう、世間の良識に反することを自由に表現できたから、面白くない筈がない。

翻って今のテレビを見ると、悪いことを自主規制し、ぬるま湯のような番組ばかり。
誰一人走らず、だらだらと笑い、ばか騒ぎするだけの番組が目に余る。
しかも、誰が作ったのか判らない、似たような番組が並ぶ。

見た人が驚くような、新鮮な番組を作る奴は居ないだろうか?
       カリキュラマシーン・ディレクター 宮島将郎
大逆襲プロダクション
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