渋谷で喰始さんにあったよ。
2011.07.27
22:52:01
文芸班のヨーゼフ・KYOです。
カリキュラマシーンがいかに好きだったかは、今まで書いた通りですが、カリキュラで本を出版出来ないかなと皆で考える中、ライターだった喰始さんのインタビューを取ることが出来ました。カリキュラ等の仕事に関して前から疑問に思っていたことを質問出来ました。
「ゲバゲバ90分」がライターデビューで、ボツになるものが多い中書いたギャグが多く採用されたことから若くして頭角を表していたようです。「天才青年現れる」とまで言われて、「一時期はテングになった」と言っていました。
ライターとして「喰始」という名前が一種「神格化」されると、面白い現象も生み出したようです。
ギャグをテレビ局の人に渡しても撮影されることがなく、テレビ局の人が「天才・喰氏」のギャグが理解できないと思われるのがいやで撮影されなかったり。
他のライターの考えるギャグがなかなか採用されない中「これは喰さんの考えたギャグですよ」と嘘をついたら採用されたり。
カリキュラ以降「自分が面白いと思える仕事以外はしません」と発言したら、テレビ局サイドも「どうせ頼んでも断られる」と思われ、仕事の依頼がなくなったり等。
喰さんはもともと映画監督を目指されていたようで、リチャード・レスターのビートルズ出演のナンセンス映画(「HELP」等)のような作品が作りたくて脚本を書いていたようです。映画産業が斜陽に向かう中で青島幸男さんが自主制作映画「鐘」をカンヌに出展されたのをみて、放送作家から映像作家に向かう方法もあるのだなと思い放送作家の職につかれたようです。
その素養から当時の実験アニメ展もよく見られていたようです。当時の実験アニメの中に、アルファベット表の文字が動き出す作品があったようで、それをイメージしてアニメーターの木下さん達と五十音表の文字が動き出すアニメを作られたそうです。(そういえばカリキュラのアニメって実験映画のあの不思議な世界のにおいを感じさせますね。)
またゲバゲバではアニメのギャグを考える班にいたそうで、「ギャグを提案しても、そのテンポやスピード感覚を伝えるのが難しく、出来上がると退屈に感じられることがあった」そうです。二年目のゲバゲバからライターとしてアニメの木下さんに加え、コラージュ漫画のマッド天野さんやナンセンス漫画の秋竜山さんが加わったことについては上の理由から「当人達が自ら作ったら面白かったかもしれないが、他の人が作るのでは面白さも半減」していたようです。当時の秋竜山さんの漫画の世界が動く絵で表現されるのはとても面白そうなのですが。
小欄に不定期に連載している「カリキュラマシーンのギャグ世界」をまとめたものを手渡し食さんに見ていただきました。「こういうのがもっと見られるようになるといいのにね」と言ってニコニコしながら私の拙い思い出を書き出したものを読んでいただきました。
「ゲバゲバおじさんの子守唄」について書いた項目について、「これはもともとゲバゲバのために作られた作品で、ゲバゲバからカリキュラへそのまま流用されたのはこれくらいです」と教えていただきました。
一種のファン度の証として書いている思い出ですが、これを当時ライターとして実際書かれていた喰さん自身にみていただき、とても幸福な時間を過ごすことが出来ました。
「カリキュラマシーンのギャグ世界」
喰始さんのインタビューで、ギャグの例として話していただいた中から。
★忍者のたしざん
壁に忍者が張り付いている。
ナレーション「右の壁に忍者が3、左の壁に忍者が4。あわせていくつ?」
ロボットによる解説。
かの字「3+4=7」
合わせ忍者が今度は天井に張り付いている。
ナレーション「忍者の数は7」
主婦が現れ、天井に向かって殺虫剤をまく。忍者達がぽとぽとと落ちてくる。
主婦「やーね。じめじめしたこの季節になると出てくるのよね、忍者が。」
※赤塚不二夫さんの伝説的めちゃくちゃ漫画「レッツラゴン」からアイデアを得られたそうです。そういえば「行の歌」のアニメでゴンのキャラの熊のベラマッチャが登場し、五体ばらばらになっていましたなあ。
喰さんからは他にも興味深い話をいっぱいうかがっております。回を改めてまた報告します。
またカリキュラマシーンファンプロジェクトでは、「平成カリキュラマシーン研究会」としてこの子供の教育のためになるのにとてつもなくヘンテコリンな類まれなる番組を後世に伝えるため電子書籍にならないかという計画を考えております。ご愛読に含め、皆さんからのご意見、ご感想、応援等今後とも宜しくお願いいたします。
ヨーゼフ・KYO
カリキュラマシーンがいかに好きだったかは、今まで書いた通りですが、カリキュラで本を出版出来ないかなと皆で考える中、ライターだった喰始さんのインタビューを取ることが出来ました。カリキュラ等の仕事に関して前から疑問に思っていたことを質問出来ました。
「ゲバゲバ90分」がライターデビューで、ボツになるものが多い中書いたギャグが多く採用されたことから若くして頭角を表していたようです。「天才青年現れる」とまで言われて、「一時期はテングになった」と言っていました。
ライターとして「喰始」という名前が一種「神格化」されると、面白い現象も生み出したようです。
ギャグをテレビ局の人に渡しても撮影されることがなく、テレビ局の人が「天才・喰氏」のギャグが理解できないと思われるのがいやで撮影されなかったり。
他のライターの考えるギャグがなかなか採用されない中「これは喰さんの考えたギャグですよ」と嘘をついたら採用されたり。
カリキュラ以降「自分が面白いと思える仕事以外はしません」と発言したら、テレビ局サイドも「どうせ頼んでも断られる」と思われ、仕事の依頼がなくなったり等。
喰さんはもともと映画監督を目指されていたようで、リチャード・レスターのビートルズ出演のナンセンス映画(「HELP」等)のような作品が作りたくて脚本を書いていたようです。映画産業が斜陽に向かう中で青島幸男さんが自主制作映画「鐘」をカンヌに出展されたのをみて、放送作家から映像作家に向かう方法もあるのだなと思い放送作家の職につかれたようです。
その素養から当時の実験アニメ展もよく見られていたようです。当時の実験アニメの中に、アルファベット表の文字が動き出す作品があったようで、それをイメージしてアニメーターの木下さん達と五十音表の文字が動き出すアニメを作られたそうです。(そういえばカリキュラのアニメって実験映画のあの不思議な世界のにおいを感じさせますね。)
またゲバゲバではアニメのギャグを考える班にいたそうで、「ギャグを提案しても、そのテンポやスピード感覚を伝えるのが難しく、出来上がると退屈に感じられることがあった」そうです。二年目のゲバゲバからライターとしてアニメの木下さんに加え、コラージュ漫画のマッド天野さんやナンセンス漫画の秋竜山さんが加わったことについては上の理由から「当人達が自ら作ったら面白かったかもしれないが、他の人が作るのでは面白さも半減」していたようです。当時の秋竜山さんの漫画の世界が動く絵で表現されるのはとても面白そうなのですが。
小欄に不定期に連載している「カリキュラマシーンのギャグ世界」をまとめたものを手渡し食さんに見ていただきました。「こういうのがもっと見られるようになるといいのにね」と言ってニコニコしながら私の拙い思い出を書き出したものを読んでいただきました。
「ゲバゲバおじさんの子守唄」について書いた項目について、「これはもともとゲバゲバのために作られた作品で、ゲバゲバからカリキュラへそのまま流用されたのはこれくらいです」と教えていただきました。
一種のファン度の証として書いている思い出ですが、これを当時ライターとして実際書かれていた喰さん自身にみていただき、とても幸福な時間を過ごすことが出来ました。
「カリキュラマシーンのギャグ世界」
喰始さんのインタビューで、ギャグの例として話していただいた中から。
★忍者のたしざん
壁に忍者が張り付いている。
ナレーション「右の壁に忍者が3、左の壁に忍者が4。あわせていくつ?」
ロボットによる解説。
かの字「3+4=7」
合わせ忍者が今度は天井に張り付いている。
ナレーション「忍者の数は7」
主婦が現れ、天井に向かって殺虫剤をまく。忍者達がぽとぽとと落ちてくる。
主婦「やーね。じめじめしたこの季節になると出てくるのよね、忍者が。」
※赤塚不二夫さんの伝説的めちゃくちゃ漫画「レッツラゴン」からアイデアを得られたそうです。そういえば「行の歌」のアニメでゴンのキャラの熊のベラマッチャが登場し、五体ばらばらになっていましたなあ。
喰さんからは他にも興味深い話をいっぱいうかがっております。回を改めてまた報告します。
またカリキュラマシーンファンプロジェクトでは、「平成カリキュラマシーン研究会」としてこの子供の教育のためになるのにとてつもなくヘンテコリンな類まれなる番組を後世に伝えるため電子書籍にならないかという計画を考えております。ご愛読に含め、皆さんからのご意見、ご感想、応援等今後とも宜しくお願いいたします。
ヨーゼフ・KYO
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