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渋谷で喰始さんにあったよ。
 文芸班のヨーゼフ・KYOです。

 カリキュラマシーンがいかに好きだったかは、今まで書いた通りですが、カリキュラで本を出版出来ないかなと皆で考える中、ライターだった喰始さんのインタビューを取ることが出来ました。カリキュラ等の仕事に関して前から疑問に思っていたことを質問出来ました。

 「ゲバゲバ90分」がライターデビューで、ボツになるものが多い中書いたギャグが多く採用されたことから若くして頭角を表していたようです。「天才青年現れる」とまで言われて、「一時期はテングになった」と言っていました。
 ライターとして「喰始」という名前が一種「神格化」されると、面白い現象も生み出したようです。
 ギャグをテレビ局の人に渡しても撮影されることがなく、テレビ局の人が「天才・喰氏」のギャグが理解できないと思われるのがいやで撮影されなかったり。
 他のライターの考えるギャグがなかなか採用されない中「これは喰さんの考えたギャグですよ」と嘘をついたら採用されたり。
 カリキュラ以降「自分が面白いと思える仕事以外はしません」と発言したら、テレビ局サイドも「どうせ頼んでも断られる」と思われ、仕事の依頼がなくなったり等。

 喰さんはもともと映画監督を目指されていたようで、リチャード・レスターのビートルズ出演のナンセンス映画(「HELP」等)のような作品が作りたくて脚本を書いていたようです。映画産業が斜陽に向かう中で青島幸男さんが自主制作映画「鐘」をカンヌに出展されたのをみて、放送作家から映像作家に向かう方法もあるのだなと思い放送作家の職につかれたようです。
 その素養から当時の実験アニメ展もよく見られていたようです。当時の実験アニメの中に、アルファベット表の文字が動き出す作品があったようで、それをイメージしてアニメーターの木下さん達と五十音表の文字が動き出すアニメを作られたそうです。(そういえばカリキュラのアニメって実験映画のあの不思議な世界のにおいを感じさせますね。)

 またゲバゲバではアニメのギャグを考える班にいたそうで、「ギャグを提案しても、そのテンポやスピード感覚を伝えるのが難しく、出来上がると退屈に感じられることがあった」そうです。二年目のゲバゲバからライターとしてアニメの木下さんに加え、コラージュ漫画のマッド天野さんやナンセンス漫画の秋竜山さんが加わったことについては上の理由から「当人達が自ら作ったら面白かったかもしれないが、他の人が作るのでは面白さも半減」していたようです。当時の秋竜山さんの漫画の世界が動く絵で表現されるのはとても面白そうなのですが。

 小欄に不定期に連載している「カリキュラマシーンのギャグ世界」をまとめたものを手渡し食さんに見ていただきました。「こういうのがもっと見られるようになるといいのにね」と言ってニコニコしながら私の拙い思い出を書き出したものを読んでいただきました。
「ゲバゲバおじさんの子守唄」について書いた項目について、「これはもともとゲバゲバのために作られた作品で、ゲバゲバからカリキュラへそのまま流用されたのはこれくらいです」と教えていただきました。
 一種のファン度の証として書いている思い出ですが、これを当時ライターとして実際書かれていた喰さん自身にみていただき、とても幸福な時間を過ごすことが出来ました。

「カリキュラマシーンのギャグ世界」
 喰始さんのインタビューで、ギャグの例として話していただいた中から。
★忍者のたしざん
 壁に忍者が張り付いている。
ナレーション「右の壁に忍者が3、左の壁に忍者が4。あわせていくつ?」
 ロボットによる解説。
かの字「3+4=7」
 合わせ忍者が今度は天井に張り付いている。
ナレーション「忍者の数は7」
 主婦が現れ、天井に向かって殺虫剤をまく。忍者達がぽとぽとと落ちてくる。
主婦「やーね。じめじめしたこの季節になると出てくるのよね、忍者が。」
※赤塚不二夫さんの伝説的めちゃくちゃ漫画「レッツラゴン」からアイデアを得られたそうです。そういえば「行の歌」のアニメでゴンのキャラの熊のベラマッチャが登場し、五体ばらばらになっていましたなあ。

 喰さんからは他にも興味深い話をいっぱいうかがっております。回を改めてまた報告します。

 またカリキュラマシーンファンプロジェクトでは、「平成カリキュラマシーン研究会」としてこの子供の教育のためになるのにとてつもなくヘンテコリンな類まれなる番組を後世に伝えるため電子書籍にならないかという計画を考えております。ご愛読に含め、皆さんからのご意見、ご感想、応援等今後とも宜しくお願いいたします。

ヨーゼフ・KYO

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文字と形:安野光雅さんのこと等
 文芸班のヨーゼフ・KYOです。

 先日1才の娘が数字やひらがなの本を見入っているのを遊びに来ていた私の母が見て、私自身も幼い頃紙に覚えたばかりの文字を紙に書いたり、体でその字の形を真似ようとしていたという話しが出ました。
子供の頃のことを思い出すと、にとっては文字を記号として捉えるより、絵の一つとして捉えて文字を覚えていったような気がします。
 カリキュラだと例のひらがなが変形するアニメが強く印象に残り、発泡スチロールで作ったと思われる大きな黄色い文字もよく覚えています。(DVDから例を挙げると、常田富士男さんの格闘家が「わ」の字と闘っていたり、藤村俊二さんの座頭市が「4」の前で居合を演じていたり等)
 セサミストリートでも大きなブロックでみんなで文字を組み立てたり、大きな電飾看板のための文字をクレーンで吊り上げるのを撮ったフィルムがありましたが、そこを狙ったのでしょうね。

 文字と形で思い出すのは、ロングセラーの安野光雅さんの「あいうえおの本」。初版は76年なので、テレビではちょうどカリキュラを放送していた頃です。左側の頁に木のブロックで出来たひらがなが描かれ、右側の頁にはその文字で始まるものが描かれます。周りの枠のペン画の唐草模様の中にもその文字で始まる植物や動物が隠れています。
 その絵の中に、「ふしぎな絵」で試みられただまし絵の趣向があったり、よく見ないと気づかないものも隠されています。「み」の頁では神輿が描かれていたのですが、本体部分にみかんが描かれているのを発見した時の喜びをいまだに覚えています。(これからこの本を見ようとしている人、ネタバレゴメン)
 姉妹本「ABCの本」同様数々の絵本の賞を受賞していたと思いました。

 その安野さんとは一度簡単に話したことがあります。十年近く前になりますが、横浜のデパートでサイン会があり、旅先の帰り道に聞き付けて、重いリュックを背負い駆け付けました。
 サイン会はわりと余裕があり、当の安野さんと簡単な会話を交わせる程でした。前に並んでいた美術部と思われる女学生達が「旅の絵本のこの絵が好きです」と話しかけているのを聞き、私は「幼い頃より大好きで愛読しております」と話しかけました。
 旅の帰りの不精ヒゲで当時三十才過ぎのおじさんにこんなことを言われ「あら、そうですか」と少し驚かれていた様子でした。考えてみれば前の「あいうえおの本」にしろ「旅の絵本」にしろ三十年以上も前の出版、それらを見て育った子供達だって成長しているのです。
 安野さんの絵本の思い出話はまた回を改めて書きます。

「カリキュラマシーンのギャグ世界」
★よ:よびだし、よこづな、よりき
 大きな門の前。相撲の呼び出し(藤村俊二さん)が「よ」の形の鍵で門を開ける。門の中から横綱や与力等が登場する。

★「も」と消防士
 燃えている家。消防士(藤村俊二さん)が中に入り木馬やももしき等「も」で始まるものを運び出す。燃える家の中に入るがしばらく出てこない。
 墓石のカット。墓の十字架が「も」の形になっている。

★路上の「らりるれろ」
 フィルム。長い道路の上。フィルムパートによく出てくる小太りのくちひげのおじさん(この人は誰でしょうか?)が作業着で立っている。
おじさん「ら行、らりるれろ!」
 フィルムのコマ落としのチャカチャカした動きで、道路のセンターラインの代わりに白ペンキで「らりるれろ」と書く。
 同じくコマ落としで自動車が登場。ら行のラインに戸惑ったらしく、途中からよろよろと蛇行してそのまま画面から消える。急ブレーキとでっかい衝突音。(衝突音に合わせて画面も揺れていたような気もします)

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